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Getting Mad
怒っているんだぞー
済みまへん。たわごと、愚痴が多くなる年頃です。あまり深くに考えず、適当に読み流してください。
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- 旧財閥
住友、さくら(三井)銀行が合併することになりました。住友、三井という旧財閥(戦後は系列)の閉鎖的な枠を越え、再編に動き出しました。以前には考えられないことでした。
もっとも最近の経済界は国境を越えた巨大合併が相次ぎ、規模の拡大が進んでいます。この背景には本田、ソニーのように新興企業が日本を代表する大きな勢力になってきたため、財閥のような縦割りの有利性が失われてきたたことも,一因と思われますが、人種、生活習慣の違う国際合併ができるのであれば、異系列であっても同じ人種同士の国内合併は当然、あっても不思議ではありません。
しかし、心配事はいくつかあります。
一つは日本人はどちらかというと外国人に弱いところがあり、国際結婚では合併後の移行はスムーズにいくように思われますが、国内結婚の場合はそれぞれの思惑、主張が行き交い、主導権争いでいろいろ余分な問題が発生すると思われることです。
二つ目は他社の合併により、危機感に煽られ、事を性急に進めてきている節が見られることです。”急いては事をし損じる”ということわざにもあるように流行に遅れまいという姿勢では決して良い結果は望めません。今回の合併は成算があっての合併でなく、大きくすればつぶれないだろうという打算だけの選択のように見えて仕方がないのです。
3つ目は統合により自由競争がなくなる事です。今までは個々の企業の特長を生かし、様々なサービスを提供してきていたと思いますが、独占的な組織となっては顧客の選択権がないため、サービスがおろそかになってしまいます。会社の思うつぼです。
最後の一番大きな問題は、当然合併によって多数の余剰人員がでてくると言うことです。9,300人もリストラをすると報道されていますが、多くの従業員を犠牲にしてまで会社は生きのびようとしているのです。またそうしなければ更に失業者が増えるのは自明の理ですが、こう失業者が増えるようでは預貯金も減ってかえって悪循環に陥ってしまうと思うのですが。
ただ、戦後企業形態の一つの時代が終わりを告げようとしているのは確実なようです。
(巨大化するだけが日本経済、国民にとっていいことなのか疑問?)
99/10/15
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- 野球
今、アメリカ及び日本で白熱したホームラン王争いが繰り広げられています。
しかしここにきてある出来事が新聞紙上をにぎわしています。巨人とヤクルトの試合で起こった敬遠策に関してです。両球団とも松井、ペタジーニ、それぞれに対して敬遠策をとりました。
こういったことは今まで何度も目にしてきたことですが巨人の新人、上原投手が悔し涙を流したと言うことで話題になったようです。
ペナントレースの勝敗が確定すれば個人のタイトルをとるために球団をあげて協力するという日本独特の人情の世界がスポーツに持ち込まれた典型的な例です。
一方アメリカではというとマクガイア、ソーサとの一騎打ちが行われ、敬遠などはいっさい行われていません。個人主義の国民性の違いといわれればそれまでですが、こちらの方が見ていておもしろいのは当然です。
日本の義理、人情の世界も良いところがあるのですが試合以外の場合で行使してもらいたいものです。競争の場では正々堂々と戦い、自分の実力でタイトルをとるほうが当人たちもすっきりすると思うのですがいかがでしょうか?(他人事ですから簡単にいえます)
(どうしてでもタイトルをとって給料を上げてもらいたい。−−嫁−−)
99/10/10
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- 裁判
25年前に起きた事件が3度目の無罪判決でようやく結審しました。裁判に時間がかかるのはすでに承知のことですがあまりにも長い時間がかかりすぎです。この間の被疑者の心情を察するとあまりあるものがあります。同情の念に耐えません。
しかし、報道はもっぱら被告人である保母さんに関することばかりであり、遺族の人に関してはほとんど報道されることはありませんでした。やりきれないのは冤罪の保母さんだけでなく、子供を殺害された親族もです。真犯人が捕まらないままで終わってしまうのであれば亡くなった子供たちも浮かばれません。
こういったケースが2度と起こらないように警察の初動捜査は特に念入りに、また裁判制度(検察側の再審権利など)の見直しを早急に行ってもらいたいものです。
(真犯人はどう思っているのでしょう)
99/10/10
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- 原子力
東海村であってはならない事故が発生しました。ウラン処理工場でのレベル4の放射線もれです。
マニュアル通りの作業をしなかったことが原因と言われていますが、かつての敦賀市の高速増殖炉でのナトリューム漏れに始まり、今回の事故までこの5年間で原子力関連の事故、不祥事が多発しています。
今までの事故ではデータの改ざん、虚偽の報告が多くみられ、原子力関係者の体質には不信感が募るばかりであります。背景には日本でこれほど普及している原子力発電を今更やめるわけにはいかないという事情があるためでしょうが原子力発電所は絶対安全であるといいながら、こう何度も問題が発生すれば安全を疑わざるを得ません。通常、表面化するのは氷山の一角であり、この下にはその何十倍もの事故が発生していたと思われます。
人間が携わる以上、ミスは付き物ですし、楽をするために手抜きをするものです。また装置も強度、システムにおいて絶対というものはありません。
したがって今後は事故は起きるという前提の元で、必ず安全(フェールセーフ)を確保できるような危機管理対策にも重点をおくべきだと思います。
今回の場合でも救援に向かった自衛隊にもレベル4の放射線を防御する装備がなかったようです。
(太陽、風力、潮流発電を有効利用しよう。)
99/10/9
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- インターネット
10月から株式の売買手数料が自由化されました。これに伴いオンライン株取引も今までやっていなかった人も含め、一層活発な取引が行われているようです。
普通の品物と違って証券はインターネット取引が行われるようになればホームページ上の画面でチャートが見られ、売買もキーボード、携帯電話などから24時間指示を出せます。また店舗を出す必要もなく経費が大幅に削減され、結果、手数料も低減されます。こうなれば取引は更に増えていくでしょう。反面、店での対面販売が必要なくなり、店自体も必要なくなります。ということは証券マンは職を失うことになり、ますます失業者が増える結果になります。
便利さと引き替えにどこかで犠牲になるものがでてきます。
(現代社会は一寸先は闇だあ)
99/10/2
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- オリンピック野球
無事、日本の野球はオリンピック出場ができました。まずはおめでとうございます。しかし、少し納得ができないところがあります。今までオリンピックに出場できると思っていたアマチアの人達はプロ野球の人達のために出場枠が少なくなるのですから。
客観的にみれば対戦国もプロの選手を参加させており、確かにプロとアマチアのレベル差はあるため、オリンピックに出場して勝つためには妥当な処置と思いますが、それならもっと早い段階でその方針を公表すべきだったと思います。選手にその気にさせておいて直前になってその権利を取り上げてしまうのは詐欺みたいなものです。
- ラグビー
英国で開催される第4回ワールドカップには日本国として15人中5人まで外国人が先発出場する予定です。これも外人を入れてまで出場する必要があるのかなあと思います。
1/3も外人で日本代表といえるのでしょうか?平尾監督は勝つための選択肢と言っていましたが、そうであれば日本代表と言わないで日本枠から出場と言った方がよいと思います。個人的には他人の力を借りてまで勝ちたいとは思いませんし、勝ってもうれしくもありません。はたしてそれ程までして出場し、勝たなければならないのでしょうか?
(世界は1つを実践しています。−−平尾−−)
99/10/2
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- 子育て
自分の子供を粗末に扱う母親が増えています。妊娠時の喫煙、幼児虐待、遊興のために幼児を放置、おまけに保険金目当ての実子殺人など数え上げればキリがありません。かつては子供のためなら自分の命さえも惜しまないという母親がほとんどだったのに世の中、ずいぶん変わってきたものです。
昔は子供が多く、子育てが大変だったにもかかわらず、他人の子供まで面倒をみていました。今は子供の人数も少なく、電化製品がそろい家事の負担も少なくなって子供と接する時間が十分にとれるようになったと思うのですが残念ながら母性本能より自分の欲望を優先する時代となってきたようです。
こういう社会になった背景にはやはり核家族化、個人主義の台頭などがあげられますがそのほかにも小さい時、子育てをする、見る機会が少なくなったことも原因として考えられます。昔は年が離れた子供同士でも一緒に遊んでいたため、必然的に子供の面倒をみるすべを学び取っていました。
世の中が豊かになった分だけ人間から情が無くなってきたみたいです。
(家族の絆という言葉は死語となりつつあります)
99/9/23
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- 運動会
聞くところによると最近の運動会では個人の徒競走がなく、学級リレーなるものに変わっているらしい。少し前まではタイムトライアルをやって同じような速さのグループで競争させていましたが更に平等化を押し進めて上記のようなやり方になったようです。”人は皆、平等”という名の元に不公平となるような競争をさせないという学校方針みたいです。
一方、勉強の方はというと相変わらず、成績順位をつけ差別化をはかっています。スポーツの好きな子供にとっては運動会は能力を発揮できる場であると同時に自分の存在を示す絶好の機会であるのにこの好機を取り上げてしまって、勉強のできる子供に対して更なる劣等感を持たせてしまう結果となります。
人にはそれぞれ得意な分野というものがあってその特技、個性を延ばしていくのが教育と思います。このようなまやかしの平等は子供のためにならず、真の意味での平等では決してないのです。本当の平等はすべての能力で判断すべきです。
こういう土壌があるから外国から日本人は個性がないとか言われ、独創性のあるベンチャー企業なども生まれてこないのです。
(徒競走の速い子はかっこよかったなあ)
99/9/22
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- 地球異変
阪神大震災に始まりこの5年間でトルコ、ギリシャ、台湾と各地で相次いで大地震が発生しています。また、このところの世界的な異常気象と考え合わせれば、やはり地球規模での環境異変が何らかの原因ではなかろうかと危惧されます。
世界中でこれだけの人、車、工場(いずれも数はわかりません。あしからず)が熱、排気ガスを発生しておれば無理からぬところです。資料によりますとこの100年間で気温が1℃近くも、二酸化炭素は20%もの上昇しており、有史以来の急激な変化をしています。地球にとってこれだけの変化を短期間に受ければひずみが生じて異常な動きをするというものです。
これから人類はどうしていくのでしょうか?今までは地球は宇宙の法則で無機質的に微々に変化してきていたのでありますが、ここに来て人類という生物が有機質的に急激に地球を変化させてきているのです。
地球は天災という形で自身の痛みを訴え始めている模様です。
(私の時代はかろうじてOKでしょうから後は頑張って対処してね。 無責任男より)
99/9/21
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- シルクロード
サラエボ、コソボ、ウズベキスタン、キリギスなど東欧諸国で起こっている民族紛争は図らずとも、遠くはシルクロードの東西文化の交流に起因しています。シルクロードの帯がイスラム教の帯と一致しており、商いと共にシルクロード沿いに人々の移動が頻繁に行われてきました。その後、ロシア、ユーゴスラビアの強力な帝政のもと、外面的には統一国家を形成していましたが帝政の崩壊により多民族国家は今まで抑制されていた民族の反発と宗教意識の高まりにより、次第に民族(宗教)紛争と発展してきました。
しかし、シルクロード時代は共存ができていたのに、なぜ今になって紛争が発生しているのでしょうか?当時はただ商取引が中心で国家というものがなかったため、支配もなく支配もされていなかったので自由気ままに異民族でも交流できていたのでしょうが、ここにきて帝政の崩壊による民族の主導権争いが前面にでてきたためと思われます。
同じ人間なのに信仰によってかくも争わなければならないものでしょうか?そうであれば心のよりどころである信仰とはいったい何なんでしょうか?また民族国家というものが必要なのでしょうか?どうしても考えがここに行き着いてしまいます。
(苦しい旅が民族同士を支えていたのかも)
99/9/16
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- 真実
一般の人がマスメディアから情報を得るとき注意しなければならないことがあります。つまりその内容を鵜呑みにしないことです。なぜならば同じ事実を伝えようとしても報道者によって報道の内容、仕方が微妙に違うからです。
報道者は報道に対して主観を入れずに事実のみを伝えないといけないと言われていますがそこは人間、どうしても自分の思った方向の報道をしてしまいます。
たとえば教師が生徒を殴ったとします。体罰は厳禁と思っている人は生徒をを中心に報道するでしょうし、不良生徒と知っている人は先生側の主張を全面に出して報道すると思います。この報道を第3者が聞いたときにはやはり与えられたままの情報で状況を判断をしてしまうでしょう。(その最たるものが芸能報道)そういう意味では一つの報道情報から真実のみを読み、聞き取ること、これは非常に難しいことです。ですから多くの情報を集めた後、判断することが大切なことです。
報道者は一般人が間違った方向に解釈しないよう時間をかけ真剣に取材した結果を、真実のみを伝える使命、努力が必要です。本当に”ペンの力は強し”ですから。
(真実は当事者でないとわかんねえだろうなぁ。わっかるかなあ−−松鶴−−古いね)
99/9/11
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- セクハラ
もっぱら女性が男性から性的嫌がらせ受けたときに文句が出ているようですが、反対に男性に対してセクハラと思われる発言、行動を行っている女性も時折、見受けられます。
毛深いとか、はげているとかです。しかしこういったことに対しては男性から女性に対してあまり文句は言っていないようですし、世間も話題にしていません。また食事代は男性が払うものと思っている、頼りがいのある男性と結婚したいなどこれらも男性に対しての1種のセクハラと思いますが、なぜ女性に対してだけが厳しく問題視されるのでしょうか?
また女性は男が嫌らしい目で女性を見るとよく言いますが、それならセクシャルな服装などしなければよいのです。(もしそうするなら文句を言わない)それをしなくて一方的に男性を非難するのは筋違いというものです。
少し女性は身勝手だと思いませんか?
(男性は女性より大らかのかなぁ)
- 雇用機会均等法
この制度ができて一番困っているのが従業員募集している部署だと思います。募集広告には性別を特定できません。しかし仕事にはそれぞれの性に向き、不向きがあると思います。中には男勝りの女性もいると思いますがそれでもかなりの肉体仕事の場合、女性では少し無理があると思います。(やれないとは言いませんが)また職場環境の問題もある事ですし、もう少し柔軟に制度を解釈しても良いのではないでしょうか?
この制度はまた給与の面でも平等にしなければなりません。これは正しいことで私もそうすべきと思いますが、反面一部の女性にはあまえてこの荷物を持ってちょだい。汚れる仕事はイヤだあ。などと甘えている人もおり、それなら同等の給与を要求しないでください。と言いたいのです。同じ仕事をしてこそ同じ報酬が大原則であり、誰でも納得できることでしょう。
都合の良いときは要求して都合の悪いときはあまえる、これは誰しも持っているエゴですが、この考え方を実行しているのはやはり女性に多いと思います。
(この項に対しては女性からかなり反論がでそうかな)
99/9/11
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- 詐欺、殺人
74年に別府市で母娘3人が再婚相手の夫に殺された3億円の保険金殺人が走りと言われ、近くでは沖縄のトリカブト殺人、和歌山カレー毒物事件、長崎の息子殺人などが起きています。命までを金銭に換えてしまう拝金社会、欲望肥大社会をどう考えたらよいのでしょうか?心の荒廃が社会の進歩と共にドンドン進んでいます。
そもそも保険は不測の出来事に対して前もって保証を得ようとすることに始まり、積立金のようなものですが、この不測を自ら作って金儲けするわけで近代犯罪の一つであります。良かれと思って作った制度を悪用する人間が必ず出てくるのが常とはいえ、情けない限りです。
一方、いくつもの高額保険に簡単に加入できる制度にも問題があり、保険会社間で横の連携を密にしてこういった悪事に対処していってもらいたいものです。
(こういう悪事が増えると保険金上がって、またしても善人が損をする)
99/9/8
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人間(すべての人ではないのですが)
- 物欲
もともと芸能人がテレビなどで自慢げに話しているためか自分をブランド者(人と違う、人より優れている)と見せかけるためか、せっせとブランド品で身を固めている人が多くなってきています。この結果、よりみんなが持っていない物を入手するためと需要と供給の原理によりだんだんとブランド品の値が高くなってお金がかかるようになってきました。(ブランド会社の売り上げの80%が日本らしい)
このため若者は援助交際、ひったくり、かつあげに、大人は保険金詐欺、カード借金に走って安易にお金を得ようとしています。昔は生活苦のためお金を手に入れようとしていたのですが、最近は自分の満足のため、ほしい物を手に入れようと犯罪に走っているようです。
そもそも物欲は動物には無かったものです。必要なものが手に入ればそれで良しとしていたのですが二本足で歩く動物になってからだんだんと欲が出てきて、必要以上の余分な物まで求めようとしてきました。
その結果、世の中、余分な物が増え産業廃棄物が地球上にあふれかえっています。何か無駄なことと思え、空虚になってきます。
(人間、見栄えでなく中身で勝負。と言いながら初対面では外観で判断してしまう悲しい性)
- 暴力
映画、ゲーム機の中で派手な暴力シーンが度々出てくるため、暴力に対して感覚が麻痺してきており、現実の世界でいとも簡単に人を殴ったり、傷つけたり、殺したりする世の中になってきています。また暴力が防御でなく攻撃のために行われています。
かってはせっぱ詰まった結果、暴力行為をおこしていたのが最近では若者が親父狩りなどと称して遊び感覚でおこなわれるようになっています。それも弱者に対して集団でです。これでは正義の味方もあったものではありません。これも心理的にはゲーム感覚になっているようです。当人にとって暴力は視覚的な物事となり、肉体的な痛みとか、結果がどうなっていくかが理解できていないのです。
またキレる若者も多くなってきています。これも現代の社会環境が生んだ悪現象です。煩わしい対人関係より安易な個人主義を選択しているためで、自分の思っていたことと反することがあったり、他人から干渉されたりするとどうしても我慢ができなくなり、キレて暴力行為に出るのです。
この要因としてはワンルームマンションでの一人住まい、家庭では個室を与えられ、一人で生活する時間が増えたためと思います。こういった環境で暴力、ホラー映画などを見ていれば必然的にこういった結果になるのでしょう。
(言葉の暴力もあった。このたわごとコラムもそうかも)
99/9/5
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- 撤退
神奈川県の玄倉(くろくら)川で、キャンパー18人が増水した川に流されるという悲惨な事故が起こってしまいました。
比較的危険の少ない釣りやキャンプなどのアウトドアにも常に大自然と対峙しており、これが高山登山や海洋冒険ともなると更に危険度を増します。大自然の力に比べて人間はあまりにも非力です。自然に対しては常に最大限の敬意を払い、自分の力を過信せず、必要とあらば撤退する勇気を持つこともとても大事なことだと再認識しました。
しかしこの撤退時期の判断が非常に難しいのです。もう少し頑張れば目的を達成できると思い、どうしても無理をしてしまいます。当然この努力がなければ何事も成就しないのですが、最終的には撤退の時期の判断を間違えれば遭難。最悪の場合は死に至ります。(企業で言えば損失、倒産)
それではその時の状況の元、的確な判断はどうやってすればよいのでしょうか?これは正しい情報の入手と経験(カンを含む)しかないと思います。
ほとんどの情報は文明の利器を使えば得られますが、(今回は地元の人の勧告という一つの情報がありながらそれを無視したという点もありましたが)この経験というものはなかなか一朝一夕で得られるものではなく、これには経験を積んだ人の後をついていって吸収していくしか手だてがありません。(今回の場合も当時の気象条件に対してどういった結果になるかが経験がないため予測されなかった)従って経験に乏しい人は安全のため常に早めの撤退をする必要があります。
それともう一つ、なぜ地元の人の勧告に従わなかったのでしょうか。ここにも経験が浅ければ人の意見に従うという鉄則が無視されています。
残念ながら遭難した人たちはこういった基本を無視したために尊い命を失ったのです。
(仕事の場合はいつも早めの勇気ある撤退のみばかり?)
99/8/30
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- 躾(しつけ)
最近、小学校で授業が満足にできない(学級崩壊)と良く耳にします。授業中に生徒が歩き回ったり、私語をしたりして各人が勝手な行動をするためで、この現象は1990年代半ばから見られるようになりました。原因としては子供たちが協調性がない、つまり集団生活ができないと言うことです。集団生活の中では個人の自由は多少我慢しなければならないことがわかっていないのです。家庭で勝手気ままに自分の思うとおりの生活しているためと思われます。
学校教育方針に多少の原因はあると思いますが、本質は家庭において子供をあまやかせ、しつけがなされていないためです。基本的な生活習慣を身につけさせる配慮に乏しく、わがままを受容してしまった結果なのです。また最近の親たちはしつけは学校でやるものと考えている人たちが多いようで、本来は家庭においてこそ、なさねばならないことなのですが、何をしたら良いことか、悪いことかを子供達に教えていないためです。こういった親に限って学校での体罰を問題視する人たちが多いようです。(偏見かな)
こういった人達にとって体罰は人間形成に悪影響を及ぼすと考えていますが、私の経験から言えば悪いことをしてそれ相応の体罰を受けることはごく当然なことであって、しつけを受けていない子供達は自分が悪いことをしたという認識がないため、怒られたことに対して反抗するわけです。物事の善悪をぜひ、家庭で教えましょう。
(生活が豊かになるにつれ徳の精神が失われてきますね--二宮尊徳--)
99/8/10
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- 国家権力
国旗、国歌法、ガイドライン関連法、通信傍受法が次々と強行採決されていっています。日本国家はだんだんと軍国、国家主義へと逆進しているように思います。国家とはなんぞや?と思いめぐらすと国民総意の元での集団組織であります。それにも関わらず、小渕内閣は総意に反した方向に国を持っていこうとしています。なぜでしょうか?歴史は繰り返されるとよく言われますが、戦後55年もなると戦争の悲しみ、苦しみを忘れてしまうのでしょうか?(事実、8月15日が何の日か知らない最近の若い人たちが増えている)それとも自ら凡人であると言っている首相が密かに、本当は、偉人であったと同時に歴史に残る内閣であったという足跡を残したいと思ってやっているのでしょうか?
そもそも国家というものを守っていく必要があるのでしょうか?国家が無くても地球という次元で物事を考えれば充分だと思います。宇宙から地球を見たすべての飛行士たちは地球は美しい星、宇宙の中の無数の星の一つであるという大局的な感想を述べ、その星で争いがあるとは信じられないと言っています。
なぜその小さな地球の中で国家権力闘争する必要があるのか私(宇宙にも行っていない更なる凡人)にはよくわかりません。
(小渕さん。血税を使ってもいいですから、一度宇宙に行ってみたらぁ)
99/8/8
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- 真理教
鳥の話でなく、電気の話でもなくもちろん今、全国で問題になっている真理教の話です。
この世の中だんだん変な方向に進んでいますが、この俗社会に矛盾と疑問を感じている純粋で一途な人たちがこの状況を何とかしたい、あるいは避けたいと思って入会、信仰しているようです。こういった背景はある程度、理解はできるのですが、実際に身内の者が起こした非常極まる行為をなぜ認めようとはしないのでしょうか?(不思議だ。そこまでマインドコントロールができるのだろうか)やはり現実から逃避しているのでしょうか?まずこの残忍な事実を認め、反省し、再発を防止する手だてを行ってから新たに活動を始めるべきだと思います。この段階をふまえず、現実に目をそらすようでは世間には到底受け入れられるはずもありません。
(お布施を取ることからして邪道である。--良寛--)
99/8/8
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- 国の顔
そもそも国旗、国歌はその国の民族が自分の存在、主権を対外的に発信する手段であると思いますが、最近の国会ではこの意識の低下を心配して法案化してしまいました。確かに以前は国民の休日となればどこの家庭でも国旗を掲揚していましたが最近はとんと見かけなくなりました。外国では国旗、国歌に対して敬意を表した行動をとっていますが、(そのために民族紛争が頻発している)この際、民族紛争の元となる民族意識を無くするためは、あえて国旗、国歌を廃止し、オリンピックの表彰式などではビートルズのイマジンなんかを演奏すれば良いのではないでしょうか。
また個人的には国旗はシンプルで印象が強く、気に入っているのですが、国歌のメロディ及び歌詞はあまり好きになれません。メロディは古くさく、歌詞は未だに何を言っているのかよくわかりません。
どうしても国歌が必要であれば広く国民から募集をしたらどうでしょうか?
ちなみにヨーロッパではクラシックの曲が国歌になっている国が何カ国かあります。
Imagine
Imagine there's no heaven 想像してごらん。天国はないと
It's easy if you try 想像してみるのはたやすい
No hell below us みんなの下に地獄はなく
Above us only sky みんなの上には空があるだけ
Imagine all the people 想像してごらん
Living for today みんな今日のために暮らしていると
Imagine there's no countries 想像してごらん。国はないと
It isn't hard to do 想像するのは難しくない
Nothing to kill or die for 殺す目的も死ぬ目的もない
And no religion too 宗教もない
Imagine all the people 想像してごらん
Living life in peace みんな平和に暮らしていると
You may say I'm a dreamer 君は僕を夢想家と言うかもしれない
But I'm not the only one でも僕一人だけじゃないんだ
I hope someday you'll join us いつか仲間に加わってほしいなと思う
And the world will live as one そしたら世界はひとつとなって生きる
Imagine no possessions 想像してごらん。所有もないと
I wonder if you can 君にできるかな
No need for greed or hunger 貪欲も飢餓も生じる必要がない
A brotherhood of man 人類の兄弟愛の世界だ
Imagine all the people 想像してごらん
Sharing all the world みんなが世界を共有していると
You may say I'm a dreamer 君は僕を夢想家と言うかもしれない
But I'm not the only one でも僕一人だけじゃないんだ
I hope someday you'll join us いつか仲間に加わってほしいなと思う
And the world will live as one そしたら世界はひとつとなって生きる
(宇宙感覚で言えば地球が一つの民族ではないかなあ?これって民族主義?)
99/7/25
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- 公的資金
銀行ほど幸せな会社は無いでしょう。今日、この過酷な時代に国家(国民の税金)からのお金を貰って支援を受けるなんて。おまけに公的資金を受けた後、倒産して返済ができなくなったなんて。なんで金融界や大蔵省の不始末を何の非のない国民が負担しないとならないのか納得がいきません。自分たちは世間に公表できない給与及び退職金(頭取は3年ほどの勤務で何億円もの)を貰っているにも関わらずにであります。
こういった背景があるためか貧乏人には厳しく、金持ちにはやさしい不公平な殿様商売体質が未だにまかり通っています。この体質を変えない限り、銀行には国からの融資をする必要はないと思います。しかしこの公的資金投入がなければ少額の貯金をしている庶民には保証が無くなります。ジレンマ。
(平成の鬼平 中坊さんがんばれ!!)
99/7/20
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環境問題 (かけがいのない自然を次世代に!)
- ポイ捨て
最近、ゴミのポイ捨てがよく見受けられます。
なぜこういった行為をするのでしょう。本人は家でもこのような行為をするのであればまだ許せますが、こういった人に限って自分の家、車はきれいにしている人が多いようです。(と私は思っています)
ゴミを捨てることによってこの美しい自然を台無しにし、人の心を荒ませますことが当人たちにはわかっていないのでしょうか。あちこちにゴミが散らかっているのを見て何とも思わないのでしょうか。
また、この行為を見た子供達はどう感じるでしょうか。子供達に同じ行為をさせないためにも大人は模範を示さなければなりません。皆さん、絶対ポイ捨てはやめましょう。
(ほかほか弁当、マクドナルドは人気有りますねぇ)
- 自然のバランスを守ろう。
長い時間をかけて地球の環境に適した生態系をこの100年間で人間が破壊し続けてきています。人は豊かさ、軽便さを求める結果、必要以上にものを作り、生体物を乱獲し、地球環境、生態系のバランスを崩しているのです。私自身もこの点においては充分、反省する必要があります。
(小川にはどじょっこ なーど ふなっこ なーど なつかしいなあ)
- ボランティア
しかしこういった道徳の乱れがある中にもゴミを拾って歩く人など自然を大事にしている人を時々見かけます。
なかなか世の中、捨てたものではないと思いますが、こういった人々を横目にごみを捨てる馬鹿な輩がいるのは誠に嘆かわしいことです。
ボランティアの人のためにも最低、ゴミのポイ捨て、自然の破壊をやめましょう。
(かく言う私はゴミ拾いボランティアは1度しかやっていないのです)
どうも人類はおかしい方向に向かっているように思えるのは私だけでしょうか?
一人一人の意識を向上させ、ポイ捨てなどをやめることが地球環境を維持する第一歩です。
99/7/20
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- 室内訓練
スポーツジムで体力向上、健康維持のためとして汗を流している人が増えています。仕事で夜しかやる時間が無いという事情もわからなくもないのですが、しかしできれば自然の中で体力向上を心がけるのが楽しく良いのではないでしょうか。 ジムでないとできないものもありますが多くのエキササイズ(ウォーキング、自転車こぎ(正式名称を知りませんので済みません))などは自宅の周りを歩き、サイクリングすることで充分目的を達することが出来ます。エアロビなども太極拳のように野外でやるのも一考だと思いませんか。
このように自然を楽しみながらできることをあえてお金を払ってまで殺風景な建物の中で体力向上を図る必要はないと思いますがいかがでしょうか?
(貧乏人のひがみかなあ?)
99/7/20
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- 渋滞
車に関することですが対向車線で右折の車が居たとします。その後には車が何台か停滞しています。
この場合あなたならどうしますか?
a.そのまま無関心に走行を続ける。
b.自分が停止して右折車が走行できるよう停車する。
私の考えでは b.が正解だと思います。総合的に考えれば全体のエネルギーのロスは b.の方が少ないと思われるからです。また右折車の人も気分を良くして同様な状況に遭遇した場合、同じように譲り合いの行動を起こしてくれる可能性があると言うことです。世の中、気分良く譲り合いの精神でいきましょう。
(これで世界のガソリンがどの程度節約できるのでしょうね?)
- 赤信号
赤信号でも交差点につっこんでくる車が増えてきています。
これは何が原因かと考えてみますと根本は信号機が多すぎるからです。都会では100mも走行すれば次の信号機があります。これではいかに我慢強い人でも少しぐらいの黄色表示でもつっこみたくもなります。特に押しボタン式信号機が問題です。歩行者の安全を考慮して取り付けられたものと思いますが、道路を渡ろうとした場合、信号機があれば車も来ていないのにも赤信号の時は違反を起こしているようでついボタンを押してしまいます。この結果、たった一人のために多くの車が停車させられてしまいます。年寄り、身障者、幼児は致し方ありませんが、ある程度判断できる健康な小、中校生以上の人であればスイッチを押さなくても少し待って車が途切れた時に充分渡れると思います。
(押しボタン式信号機では赤で渡っても違反にならないのでしょうなあ?)
99/7/15
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- 経営学
近頃の経営者は何かと言うとリストラを口にし、人減らしという誰にでも考えつく1番安易な方法を選択して経営建て直しを図っています。経営者として恥ずかしくはないのでしょうか。
赤信号、みんなで渡れば怖くないのごとく、この時勢であれば世間、株主からの非難を浴びることがないと思っているようです。経営学の基本は従業員の雇用をいかに保証できるよう経営に努力することでしょう。そのためにはまず、知恵を働かして需要を増やし、従業員の労働意欲をかき立て、ひいては売り上げを伸ばする環境に会社を持っていくというのが経営者の努力、手腕、能力であるるといえます。。
これと反対方向に進んでいくようでは、経営者としては失格で、ますます従業員の労働意欲を低下させ、業績は低下、悪循環となっていきます。
リストラの本来の意味は再構築という意味であって人減らしでは決してないのです。会社組織、構造ををどんどんリストラすることは大いに歓迎です。
長年、会社に貢献してきた中高年層を単に高給取りという理由で切り捨てるのであれば、まず経営陣が退職金も辞退するなどして責任をとるべきです。
社長さん。長い目で見ればここで頑張ってこそ会社の将来があると思います。人減らしは会社衰退の道ですよ。
(しかし会社経営は我々、下々が考える以上に大変なことなんでしょうなあ?)
99/7/15
つづく 乞うご期待
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