旧北陸鉄道トンネル群から今庄宿 サイクリング

 前日(23日(月))に引き続き、本日(24日(水))は旧北陸鉄道トンネル群から今庄宿までのサイクリング。旧国鉄北陸線は明治29年(1896年)に敦賀ー今庄間が開通。鉄道技術の限界と言われる山間部の急こう配を巡る長さ26.4Km。山岳路線の山中峠ルート(明治29年開通)で、4ヶ所のスイッチバックで25‰(パーミル)の急勾配を克服し、3ヶ所の駅、3ヶ所の信号場、11ヶ所のトンネル、1ヶ所のロックシェッドで越前と若狭を隔てる難所を克服している。旧街道が越える標高約630mの木の芽峠を避けて、敦賀湾沿いの山腹を大きく迂回していたがそれでも標高265mまで上る必要があり、前後に急勾配とトンネルが連続する鉄道。旧線路跡は敦賀市街から葉原までが国道476号、葉原から杉津までが敦賀市道、杉津から今庄までが福井県道207号今庄杉津線。

旧北陸線隧道群(敦賀〜今庄間)

隧道名 長さ 特徴 訪問
1 樫曲(かしまがり)隧道 87m 煉瓦巻き。敦賀側の入口に近い最初の隧道
2 葉原(はばら)隧道 979m 北陸隧道建設時に資材搬入拠点となった葉原地区に隣接曽
3 鮒ヶ谷(ふながや)隧道 64m 敦賀市阿曽
4 曽路地谷(そろじだに)隧道 401m 敦賀市阿曽~杉津
5 第一観音寺(かんのんじ)隧道 82m 敦賀市大比田~横浜
6 第二観音寺(かんのんじ)隧道 310m 敦賀市大比田
7 曲谷(まがりだに)隧道 260m 敦賀市大比田
8 芦谷(あしたに)隧道 223m 敦賀市元比田~大比田
9 伊良谷(いらだに)隧道 467m 3連隧道の一つ。坑門の意匠が美しい
10 山中(やまなか)隧道 1170m 群中でも長め。山中峠越えの核心部
11 湯尾(ゆのお)隧道 368m 今庄寄り。湯尾集落に近い X


 「今庄まちなみ情報館」の展示パネルより

3日目 2025年9月24日(水) 走行距離 65Km

旧北陸鉄道隧道群から今庄宿までのサイクリング 走行ルートを見る  地図の右上で「RWGPS」を「MAP」などに変えるとより分かり易い表示になります。

 外出して朝食を食べてからホテルに車の駐車をお願いして7時に曇り空の中、出発する。本日は多くのトンネルを通るために前照灯を2つ、尾灯も2つ取り付けて準備完了。国道8号線を横切り、敦賀駅前を通るとアーケードに松本零士の有名な作品である「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」にちなんだモニュメントがあちこちに設置されている。敦賀市がかつて重要な鉄道と港の町であったのでそのイメージで、松本零士作品を選んだのが理由らしい。折角なのでので多くの通勤者が見ている中、撮影して😅からトンネル群に向かう。

 木の芽川沿いに国道476号線で徐々に高度を上げていく。北陸自動車道を2回潜ると国道左脇にトンネルが見える。「樫曲隧道」は旧北陸線トンネル群で最初の隧道でレトロなカンデラ形状の照明があり、人を感知すると点灯する。綺麗なレンガ積みの隧道である。登録有形文化財のプレーが埋め込まれている。内部はひんやりとし、ライトを照らすと、手作業で積まれた石の精緻さが浮かび上がる。天井には蒸気機関車の煤が残る。歴訪、最初のトンネルのため少し時間をかけて観察してから次のトンネルに向けて更に高度を徐々に上げていく。

 国道476号線から旧北陸鉄道隧道群のある道に入るには日吉神社で左に折れなければならないが国道を避けて明治天皇葉原御小休所がある旧道を走ったためその場所を行き過ぎてしまう失態。一旦、国道で戻るがその曲がり箇所には何も案内標識は無く、入り口部は判りづらい。何とかコースを変えて田園の中を右手の北陸自動車道に沿って走っていく。

 「葉原隧道」は両側を北陸自動車道の上り、下りの葉原トンネルに挟まれている場所にあり、今は道路トンネルに転用されいる。「山中隧道」に次いで長い隧道でトンネル内が往時の狭軌・単線幅の幅員3.7mのため、信号で交互通行が行なわれていて、緩やかに湾曲する石造及び煉瓦造隧道。隧道群には大体100mおきに退避用のスペースが設けられている。極、たまに車も通っているのでこの退避場でやり過ごすことになる。

 「鮒ヶ谷隧道」は最も短いトンネルで坑門の石積や煉瓦アーチでできている。

 「曽路地谷隧道」坑門部分は石造、覆工アーチ部をレンガ造りで、北側にはレンガ水路を備えている。すぐ西側を北陸自動車道の杉津トンネルが貫通し、杉津トンネルの北側にある杉津パーキングエリアが、かつての杉津駅のあった場所である。かつて「日本海を望む絶景駅」として知られた杉津駅は、今では北陸自動車道の杉津PAにその面影を残す。

 杉津 パーキングエリア (上り)の下を潜り、県道207号線に合流して「第一観音寺隧道」に向かうが、なななんと、トンネル点検中で通行止めになっている。ガーーン❗❗。トンネル群を目的に来たのにこれでは帰るに帰れないと監視員に泣きついて兵庫県から来たと事情を説明して、工事責任者に連絡を取ってもらいOKを頂き、辛うじて進入を許される。ほっ😅。第一観音寺隧道に向かう途中でも左側に若狭湾を見かける。「第二観音寺隧道」も少し湾曲している。隧道を出ると目の前(50m)に次の「曲谷隧道」が見える。

 「曲谷隧道」は腰部が切石積みで坑門まわりは江戸切り仕上げに近い丁寧な石積。緩やかに湾曲する。「曲谷隧道」から「芦谷隧道」、「伊良谷隧道」の3連続の隧道を見ることができる。

 「芦谷隧道」は「曲谷隧道」から100m先(北側)にあり、レンガ造りで坑門は北陸土木会社が関わった他の隧道と同じで、石積みは笠石、帯石を有した江戸切仕上げ。

 「伊良谷隧道」は内壁、坑門ともにレンガ造りで、坑門の意匠部分(要石、笠石、帯石)にのみ切石を使用。

 「伊良谷隧道」からわずか90mでトンネル群の中でも最も長い「山中隧道」へ。山中峠を越すトンネル手前には黒田清隆が揮毫した扁額「功加于時」のレプリカと山中隧道殉職者慰霊碑が設置されている。心細いライトの光と天井からシャワーの様に降って来るたくさんの水の中、上り坂のピークとなる9つ目の山中隧道を抜ける。今庄方には「徳垂後裔」のレプリカがある。隧道の東側(右)奥にはスイッチバック用の折り返し線があり、その先にトンネルが見える。トンネルの中は20mほど先で行き止まりとなっている。本線に戻って500m程、進むと山中信号所跡がある。単線線路なのですれ違えるポイント(信号場)を作って、今庄からは1000分の25の急勾配なので、列車を止めようにも止めることができない。そのために先ほどのトンネル折り返し線を作って、本線の車両が通過後、信号所に戻ってから本線に戻ったと説明書きがある。

 「山中隧道」から今庄までは気持ちのいい幅広い道の下り坂。ペダリングもせずに、約4キロをドンドン下って比較的平坦路になると旧大桐駅の上り線ホーム跡に到着。ここには国鉄時代のD51形蒸気機関車の動輪や信号機が展示されている。旧線にあった3つの中間駅のうち、唯一その姿をとどめている。

 南今庄駅手前で右側に北陸トンネルの案内板が現れたので立ち寄ってみる。現行(ハピラインふくい線)の北陸トンネルで木ノ芽峠の直下を通過する。日本の狭軌在来線では最長の陸上トンネル(総延長は13870m)で敦賀駅と今庄駅をつなぐトンネル入り口が見える。撮り鉄にとっては恰好な場所ではないのかな。このトンネルが開通したことで勾配のきつい今回の旧北陸鉄道は昭和37年6月10日に廃止されている。

 残念ながら今庄宿より北に位置している「湯尾隧道」は今回、下調べ漏れで今庄宿で折り返ししてしまったので訪問できず。悔いが残る😂。

樫曲隧道→ 登録有形文化財のプレートのあるレンガ積みの
樫曲隧道内部→
新保駅跡→ 新保駅の記念碑→
明治天皇葉原御小休所@葉原区公会堂→ 敦賀側からの葉原隧道→
幻想的な葉原隧道内部→ 隧道途中の待避所→
左手に並行する北陸自動車の先に若狭湾敦賀湾が現れる→ 線路跡の道→
鮒ヶ谷隧道→ 鮒ヶ谷隧道内部→
鮒ヶ谷隧道から振り返り、線路跡を見る→ 曽路地谷隧道→
少し湾曲している隧道→ 🎵 線路は続くよ どこまでも→
なんとトンネル点検中で通行止め→ 走り易い綺麗な舗装路→
第一観音寺隧道と点検車両→ 第二観音寺隧道→
第二観音寺隧道内部→ 直ぐに次の曲谷隧道が見える→
曲谷隧道→ 曲谷隧道から次の芦谷隧道を含め3連続の隧道が見える→
敦賀半島と無人島 水島が見える@曲谷隧道と芦谷隧道間→ 芦谷隧道→
伊良谷隧道→ 黒田清隆が揮毫した扁額が外された山中隧道→
山中トンネル殉職者慰霊碑と黒田清隆が揮毫した
扁額レプリカ→
左奥にスイッチバック用のトンネル→
スイッチバック用のトンネル→ 中山峠 ここからずーっと下り坂→
待避線路跡@山中信号場 この先はずーっと下り坂→ 現在位置@山中信号場→
廃線跡 直進的な気持ちの良い下り坂→ 大桐駅跡→
現在位置@大桐駅跡→ 現役のJR北陸線のトンネル1本で敦賀と今庄をつなぐ→

今庄宿観光ポタリング

 3角形の空き地で「今庄のみちしるべ」と出会う。追分の石柱には右は「京、つるが、己可佐 (わかさ)道」 左は「京、いせ、江戸道」と彫られている。つまり右は加賀に向かう北陸道、左は木之本、長浜へ向かう北国街道へ。ここからが「今庄宿」で江戸時代の宿場町である。取りあえず、今庄駅に向かう。旧北陸線時代には鉄道基地として汽車への給水所や給炭所があり、今庄駅内に資料館が併設されている。2021年に南越前町今庄宿重要伝統的建築物群保存地区として指定された旧街道には宿場町の街並みが残っている。

 今庄宿街道のの出入り口である見付はやはり矩折(かねおり)となっている。街道沿いの建物には、うだつの家屋がずらっと並んでいる。今庄と言えば『おろしそば』、駅の立喰いそばが発祥だとか。汽車が停車している僅かな時間で食べれる様に、盛りが少ないのが特徴という。

 宿場町を一通り観光した後、折角なので名物のおろしざるそばを食べるべく店に入る。盛りが少ないということなので十割そばの大盛りを頼む。つゆまでいただく。腹を満たしてから街道筋をゆっくり見て回る。

 復りは国道476号線で孫谷川沿いに帰るがほとんどが山中のため変化が無い。これなら今庄宿から海側に抜けて敦賀湾沿いに帰る近代化遺産周遊ルート通りに行けばよかったと反省。途中、湖北に向かう365号線への分岐で木ノ芽峠?を超え、木ノ芽峠トンネルを抜けて後は一気にダウンヒルで敦賀市に入り、樫曲隧道の先で左側にある旧道(木の芽川の右岸)に入る。右手に現れた2024年3月16日に開通した真新しい、かつ立派な敦賀新幹線駅に立ち寄る。流石に新しいだけあって綺麗でモダンな駅舎である。市内をうろうろしながら昨夜投宿したホテルに15時過ぎに到着。車を引き取り、二泊三日の自転車旅は無事、終了。 気候も良く、雨に降られず、風も無く、良い条件で楽しいサイクリング旅であった。舞鶴若狭自動車道で我が家に向けて帰る。

今庄のみちしるべ 右は北陸道へ 左は北国街道へ→ JR今庄駅横→
いよいよ北陸道で鍵辻のある今庄宿へ→ 今庄宿のメイン街道→
うだつのある御札場跡(北村善六家)→ 今庄宿 本陣跡→
旧京藤甚五郎家住宅 元旅籠屋の若狭屋でざるそばを食す
1.5人前のおろしざるそば&きなこ餅 今庄宿の路地
今庄宿観光の終わり
本陣裏庭
今庄宿の街道→
木の芽峠?を超えてから長いダウンヒル→ 真新しい北陸新幹線 敦賀駅南側→
 終わり
モダンな作りの敦賀新幹線駅南側入り口

敦賀市が「港と駅」のイメージで、松本零士作品モニュメント

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