旧中山道(近江路で関ケ原古戦場へ) サイクリング

 江戸時代に整備された五街道の一つである中山道(江戸と京都を結ぶ約500キロメートルの街道)を走行する。以前に旧東海道は走破したのに続いて第二弾の歴史街道ライド。

 🚴‍♂️京都駅まで輪行して京都三条大橋から以前走行したことのある旧東海道を走り、旧東海道52番目かつ旧中山道68番目の草津宿から旧中山道に入る。そこから各宿場町を巡り、関ケ原古戦場まで。途中、彦根駅前で宿泊して一日目を終了、次の日に関ケ原まで足を延ばして古戦場を散策。その後、西進して琵琶湖に抜けて近江八幡駅まで琵琶湖沿いに南下する予定である🚴‍♂️。

旧中山道ルート
 京都駅→京都三条大橋→#53大津(おおつ)宿→#52、#68草津(くさつ)宿→#67守山(もりやま)宿→#66武佐(むさ)宿→五箇荘(ごかしょう)散策←#65愛知川(えちがわ)宿→#64高宮(たかみや)宿→彦根駅前で宿泊←#63鳥居本(とりいもと)宿→#62番場(ばんば)宿→#61醒井(さめがい)宿→#60柏原(かしわば)宿→#59今須(います)宿→#58関ケ原(せきがはら)宿→黒壁スクエア→琵琶湖東岸→近江八幡駅

旧中山道
日時 行程 概略距離 実走行
10月17日(火) 京三条大橋(京都市)~高宮宿(滋賀県彦根市) 64Km  98Km
10月18日(水) 高宮宿(滋賀県彦根市)~関ケ原宿(岐阜県不破郡) 28Km  68Km

 実走行ルートは迷ったり、一部「旧中山道街道」から外れている個所もあるので注意の事

初日(2023年10月17日)

 3Dでコースを見る

 地図の右上で「RWGPS」を「MAP」、「HYBRID」などに変えるとより分かり易い表示になります。

 走行距離は約84Km 獲得標高1040m

 暖かい予想の日曜日に出発予定であったが雨模様のため平日に敢行することにする。通勤混雑を避けるため新快速ではなく6時の快速電車に乗るが大阪駅前後で少し混んできたが満員までとはならず一安心😊。大きな輪行袋の持ち込みは気を遣う。しかしコロナ前と違って電車は比較的すいているようである。

 8時前に京都駅🚉に到着。この時間帯は移動するためか外人が多い。輪行を解いて少し肌寒い中、いざ出発🚴‍♂️。高瀬川付近で少しうろついてしまったが衆議院議員の前原誠司が街頭演説する東海道終点の三条大橋を出発。県道143号線で蹴上と逢坂峠を登った後、下って先ずは琵琶湖のほとりの物資の集散地としての賑わい、北国海道(=北国街道)との追分でもあった都と東国を結ぶ要衝の「大津宿」に向かう。しかし「大津百町」の市街地に入るが各曲がり箇所に案内が無いため「瀬田の唐橋」に出るまでルートファインディングに迷いながらの走行である。まずは「京町一丁目」の交差点で右折が最初の関門。緩い上り坂の両側は多くの旅籠の面影を醸し出している。京阪膳所駅付近にある「義仲寺」から先も注意が必要。その筋に入れば「東海道」の表示が適宜にあるので確認しながら何度か左、右に曲がりながら走行。

 「瀬田の唐橋」からはしばらく国道1号線(8号線)の南側を走り、その後、北側に移動すると商店街の中に追分宿として賑わっていた「草津宿」がある。ここで旧東海道に別れを告げ、旧中山道に入ることになる。
 「草津宿本陣」では旧東海道と旧中山道の分岐点があり、道標や高札場、天井川の草津川を避けるための隧道などがある。そこにあるマンホールにも道標が描かれている(下記写真)。右に曲がれば以前に走行した「旧東海道」へ。直進して草津川隧道を潜り、草津駅を左に見て更に北上していく。

 京からの旅人が最初に泊まったという宿場「守山宿」。今は家が連なった住宅街だが格子戸の家も散見できる。野洲川を越えた先で国道8号線に合流。右側には村田製作所の大きな工場が見える反対側にはサイクリングロードらしき茶色に舗装された道が見える。

 その後、国道右側にある「武佐宿」の入り口を見過ごし、しばらくしてから国道を横切り、伊勢へ通じる八風街道の追分であって海産物、布、紙など物資の往来で賑わった「武佐宿」に入る。鉄砲の根来集で有名な根来家の「根来陣屋跡」を見てから織田信長の寄進と云われている立派な「奥石(おいそ)神社」を通過。

 滋賀県東近江市にある近江商人の本宅がある「五箇荘」を観光するため、旧中山道から外れて北西方面に進路を変える。五箇荘金堂地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、舟板塀や白壁をめぐらした蔵屋敷があり、清らかな水が流れ錦鯉が優雅に泳ぐ掘割が縦横に走って雰囲気のある町並みである。平日とあって観光客はまばらである。
散策の後は旧中山道には戻らず、そのまま直線の農道を東進する。

 8号線で愛知川を渡って反対側の脇道に入り旧中山道に合流。近江上布を扱う近江商人によって栄えた「愛知川宿」となり、八幡神社入口に「高札場跡碑」が建てられており、その手前右側には「問屋跡碑」があるだが肝心の脇本陣跡は高札場跡碑の隣で今は空き地となっている。

 多賀大社の門前町として、また近江上布(麻布)の集散地として大変栄えた「高宮宿」で脇本陣が2軒あった。松並木が続く気持ちの良い街道である。

 ここで本日のライドは終了し、宿泊ホテルがある彦根駅前に向かう。素泊まりのため国道沿いの店で夕食を取り、晩酌のためのビールを買い込みチェックイン。自転車は室内に持ち込み可能であった。室内で自転車のチェーンの汚れを取ってから一風呂🛁浴びて英気を養うためビール🍺で一人乾杯。各機器を充電して10時前には就寝🛏。

.高瀬川@京都→ 先斗町@京都→
弥次喜多像がある三条大橋西側たもと
東海道終点→
右の旧東海道の路地へ@山科→
旧東海道分岐@山科手前付近→ 深い轍のある牛車用車石→
大津追分 伏見(奈良)街道への分岐
左側は東海道57次へ→
逢坂関のある峠→
大津宿街道→ 木曽義仲寺→
瀬田の唐橋→ 一里塚→
草津宿の東海道と中山道の分岐道標→ 草津本陣→
草津宿街道→ 東海道と中山道の分岐@草津川隧道→
マンホールにも分岐が描かれている@草津宿→ 守山宿の高札場にある石標→
守山宿街道→ 日野川支流のサイクリングロードを見かける→
根来陣屋跡@武佐宿→ 五箇荘の近江商人屋敷→
近江商人ゆかりの地 五個荘金堂地区
愛知川宿街道→ 伊勢道分岐@愛知川宿→
中山道松並木@高宮宿→ 脇本陣跡@高宮宿→
高宮鳥居→ 彦根駅前のホテルから彦根城→

二日日(2023年10月18日)

 3Dでコースを見る

 走行距離は約68Km 獲得標高920m

 翌朝、朝風呂を浴びてホテルの無料朝食を食して8時に出発。しかし参考にしていたサイクリングルートは私と同様、彦根で宿泊していたようで旧中山道から外れた場所からのスタートとなっているし、また自分も勘違いして何故か、石田三成の居城であった「佐和山城」付近を走ってしまってウロウロしてしまい大きく時間をロスする😫。本来の「旧中山道」は東にある佐和山の反対側に行かなければならない。通勤途中の人に尋ねてようやく、国道8号線の「佐和山トンネル」(人用の専用トンネルがあるので安全)を抜けてすぐの反対側に渡り「彦根道」に入ると旧中山道と合流して「彦根道(朝鮮人街道)」、「北陸街道」の分岐点がある「鳥居本宿」道標の先に出る。一安心。

 昭和初期に建てられた近江鉄道「鳥居本駅」の付近にある本陣、脇本陣跡しか残っていないが雨合羽(道中合羽)で有名な「鳥居本宿」には合羽の形をした看板があちこちで掲げられている。イメージしやすい看板である。檜皮葺の常夜灯が彦根道分岐に残っている。最後には鍵型辻(枡形道)付近に万治元年(1658年)創業の今でも有名な和漢胃腸薬の「赤玉神教丸(あかだましんきょうがん)」の「有川薬局」がある。その後、道端に旧中山道の草道があるので細道に入って行くと「旧北陸街道」である国道8号線に合流する。

 そこには大きな摺針(すりはり)峠望湖堂碑があり、右折して山道坂🚵🏻‍♂に入って行く。本当の旧中山道はちょっと外れて左側の山林の中にあるが自転車では困難と思い、薄暗い最大勾配15%の舗装路で何とか摺針峠を登り切る。かつては中山道で有数の眺望(広重も望湖堂と琵琶湖の景色を描いてる)を誇った峠であったらしいが今では「入江内湖」が干拓され、更に車道化されて道が切り下げられているので展望は無い。少し下っていくと「摺針一里塚跡」があり、更に下り名神高速道路手前の分岐で左に折れ、その後、高速脇を通る山間の道で多少のアップダウンをする。旅人の喉を潤した水場である地蔵堂の「泰平水」を左に見て高速道路のトンネル上を通過(小摺針峠)。しばらくすると伊吹山が垣間見えている。やがて「番場の忠太郎で」有名な「番場宿」は山間の小さな宿場であるがここも本陣跡しか残っていない。資料館や鎌刃城跡が案内されているが水曜日は休館。この街道筋は「ぐるっとびわ湖サイクルライン」のコースの一部にもなっている。緩やかに下って宿場の出口になると忠太郎の像が立っている。そこで県道240号線を横切る。

 名神高速道の米原ジャンクションをから延びている北陸自動道を潜る。国道21号線を横切り、21号線沿いに走行して21号線で丹生(にゅう)川を渡った後、右側の脇道に入って行くと「醒井宿」となる。霊仙山の伏流水が「賀茂神社」の崖下から「居醒(いさめ)の清水」として滾々と湧き出る清水が清らかに流れる地蔵川の中の梅花藻が有名な所でもある。幸運にもこの時期でも一部まだ花が咲いているのが見られる。そのほか「十王水」や「西行水」の湧水もある。現在は資料館になっている江戸時代からそのままの姿で残っている問屋場(といやば)ぐらいが当時の面影を残しているぐらいである。東の江戸見付(番所)があった鍵型辻を抜けると醒ヶ井宿は終わる。

 名神高速道に沿って走っていくと山手側の林の中に猿の軍団を見かける。滅多に通らない人間を見て驚いて逃げていく。かつては西見付にあった日本橋から115番目の「柏原一里塚」を過ぎると艾(もぐさ) の産地として有名な「柏原宿」の八幡神社の前に出るが境内に「芭蕉句碑」その先で 「伊吹山」が顔を覗かしている。

 岐阜県に入り、美濃路最後の宿場である「今須宿」は妙応寺の門前町である。JR東海道線と国道21号線を渡るとまずは「車返しの坂」なる草道は南北朝の時代、粋狂な人がいて不破関屋の荒庇(ひさし)から漏れる月の光が面白いと聞き、都から牛車に乗ってやって来たのが公卿の二条良基。ところが、この地で屋根は直してしまったと聞き 「なんだ面白くない」 と引き返してしまったといういわれがある場所である。常夜灯を見ると宿場町の中に入る。

 再び国道21号線を150mほど走り、左に折れてJR東海道線を渡ってから林の中の今須峠を通過して、東海道線に沿ってしばらくすると旅人の疲れを癒した「鶯の滝」が右下に現れる(見づらい場所にある)。小さいが水量は豊富である。次に今須宿と関ケ原宿の間の宿として使われた「間の宿 山中」の標柱がある高札場となる。国道21号線を渡ると「大木戸坂」の上に壬申の乱(672)後に設けられた三関(不破・鈴鹿・愛初)の一つ「不破関(ふわのせき)跡」。ちなみに、不破関を境にして関東、関西と呼ぶようになったらしい。なるほど。

 関所を右手に見て北に登っていくと国道21号線の北側に小高い丘の中の関ケ原古戦場となる。各武将の陣地や開戦地、決戦地などを散策。周りを見渡しても何故、山に囲まれたこんな盆地が天下分け目の合戦場になったのかよく理解できない。多分、中山道、北国街道、伊勢街道の分岐点である「不破関」も一つの理由であろう(勉強不足😅)。平日にもかかわらず結構観光客が来ている。これも今年の大河ドラマの影響かもしれない。合戦場は「関ケ原宿」の手前となるため、本陣まで足を延ばさなかった。

 本来の目的が遂げられたので後は適当に帰るのみ。先ずは琵琶湖を目指す。そのためには一山超えないといけない。伊吹山ドライブウェイ前を通過して徐々に登っていく。勾配はそれほどきつくは無いが長く続く。峠を越えると後は琵琶湖に向かって下っていくのみ。しかしこの国道365号線利用は交通量が多く、大型トラックも走行するのであまりお勧めできない。まあ県道143号線手前からは道幅は広くなり走り易くなる。

 県道143号線に入って観光地の長浜の「黒壁スクエア」に立ち寄った後は琵琶湖沿いのさざなみ街道で南下。平日の午後ではほとんどサイクリストと出会わない。近江八幡駅まで走行する予定であったが早目に電車に乗って阪神間の通勤時間帯を避けようと米原駅🚉で今回の旅を終了する。

交通量の多い国道8号線 佐和山トンネル→ 鳥居本宿街道→
屋根の上に看板を掲げる合羽屋@鳥居本宿→ 脇本陣、問屋跡 高橋家@鳥居本宿→
檜皮葺の常夜灯@鳥居本宿→ 本陣に使われていた門扉 寺村家@鳥居本宿→
道中合羽の看板@鳥居本宿→ 和漢胃腸薬の赤玉神教丸の有川薬局→
道標に従い細道へ→ 摺針峠→
摺針一里塚跡→ 摺針峠下り口 道標で左へ→
番場宿街道→ 番場宿問屋跡→
番場宿本陣跡→ 番場の忠太郎像で番場宿は終わる→
十王水@醒井宿→ 地蔵川@醒井宿→
まだ花が残っている梅花藻@醒井宿→ 居醒の清水@醒井宿→
柏原宿入り口→ 柏原一里塚→
柏原街道→ 車返しの坂→
常夜灯@今須宿→ 山崎家の問屋場@今須宿 →
今須峠を越えて関ケ原宿へ→ 鶯の滝→
間の宿 山中→ 美濃の不破の関跡→
関ケ原古戦場へ→ 伊吹山と関ケ原開戦地付近→
平和の杜 侍の顔?→ 石田三成陣地→
目の前が関ケ原開戦地→ 関ケ原決戦地→
国道365号線からの伊吹山→ 観光地の長浜の黒壁スクエア→
 
湖東のなぎさサイクリングロード

後記
 全般的に街道筋は雰囲気は残っているものの残存している本陣は極少ない。彦根以降の宿場間は人出が無く寂しい。各地で国道8号線と合流後は左右に注意を払っていないと旧道を見逃す恐れがある。
 今回は強敵の風も無く、天気🌞に恵まれ歴史街道を楽しむことができた。
参考資料
  街道ウォーキングマップの近江路中山道を参照させてもらいました。

サイクリングコースに戻る  自転車の部屋に戻る  趣味に戻る