江戸時代に整備された京までの道、東海道(江戸~京)から18年後に新たに大阪までの道を整備、追加した東海道57次をサイクリングする。
豊臣秀吉が大坂城から伏見城へと至る道を整備してその後、江戸幕府は東海道の髭茶屋追分から伏見へと続く道とつなげられ、江戸幕府の道中奉行が管轄することとなって東海道の一部として扱われるようになった。大坂から京を通ることなく東海道に入ることができるようルートを設定し、延伸ルートの接続点を東海道の終点である三条大橋の手前の髭茶屋追分(大津市追分町)に定め、そこから左に分かれる道である。以前に旧東海道は走破、中山道(一部)に続いて第三弾の歴史街道ライド。
東海道57次
JR大阪駅→高麗橋(こうらいばし)→#57守口(もりやま)宿→#56枚方(ひらかた)宿→#55淀(よど)宿→#54伏見(ふしみ)宿→髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)→JR山科駅
走行距離は約70Km 獲得標高1200m
実走行ルートは迷ったり、一部「東海道57次」から外れている個所もあるので注意の事
東海道57次の実走行ルートを見る 3Dでコースを見る参照: 京街道 | 歴史街道
地図の右上で「RWGPS」を「MAP」、「HYBRID」などに変えるとより分かり易い表示になります。
以前、NHKのブラタモリで放送されたのに刺激を受けて「東海道57次」を走行🚴♂️することにする。今、インバウンドで日本中が混雑、更に5月の連休初日とあってあまり良い条件ではないが、まだ「東海道57次」ルートはマイナーな所だろうと思い、走ることにする。晴天の日曜日早朝に明石の自宅を🚲で出て、7時に新快速🚃で大阪駅に向かう。心配していた車内は十分空いている😊。大阪駅で輪行を解いて8時過ぎに️出発🚴♂。57次の終点である「高麗橋」から上京方向に大阪城→守口宿→枚方宿→淀宿→伏見宿→髭茶屋追分(東海道との分岐点)を訪れて山梨駅まで走行する予定️。
まずは大阪駅から中之島を目指して大都会のビル街を南下していく。大阪市街を🚴♂️で走るのは2回目である。自転車走行路として車道には青色ペイントのが表示されているが早朝とあって、まだ人出は少ないし、歩道がかなり広いので高齢者である私は歩道を走らせてもらう😅。正面に日本銀行の建物を見かけると
中之島となり、大江橋で堂島川、淀屋橋で土佐堀川の左岸側に渡ってから東進する。北浜地区に入ると難波橋の立派なライオン像や米相場で有名な大阪証券取引所とその前に伍代友厚の銅像が見えてくる。
環状線の手前で右に折れて東横堀川沿いに走っていくと街道終点である「高麗橋」に到着。いよいよここから57次街道走行開始である。少し先の右手に急坂が見え、「熊野街道」起点との標識がある。熊野三山へと向う道である。次に「ドーンセンター
情報ライブラリー」北側にある「大阪城石垣跡」を見学してから肝心要の大阪城🏯に立ち寄ることにする。朝9時にもかかわらず、お堀の周りにはランニングする人達や多くのインバウンドの人達で一杯である。休日なので自転車で城内に入っていけるのか懸念したが大手門からすんなり入城でき、桜門からお城の周りを一周してから57次街道に戻る。姫路城🏯も度々訪れているがやはり大阪城の石垣の大きさは桁違いで圧倒される。よくまぁ小豆島から運んできたものだ。昔の人達の労力には改めて感心する。
寄り道したので先を急ぎ、京橋駅へ。かつては京阪本線🚃はここ京橋が起点であった所である。国道1号線で大阪環状線を潜って北上して大阪の下町である「新京橋商店街」から「リブストリート」へ。この界隈は賑やかではあるが雑然とし、飲食店が多いせいかすえた匂いもしてあまり快適な雰囲気ではない。「野江内代駅」付近では京街道石碑がある「野江の七曲り」を通過して、更に「関目高殿(せきめたかどの)駅」付近では再び「関目七曲り」が現れる。大阪城の防備の要である。今までは57次の街道案内標識は見られなかったがこの辺りから街道沿いに「京街道」の石碑や案内板をちらほら見かけるようになる。しかし表示は「京街道」、「京かいどう」、「京かい道」とまちまちで統一感がない。この辺りで昼食とする。
![]() |
![]() |
人もまばらな大阪御堂筋線→ | 日本銀行@中之島の大江橋→ |
![]() |
![]() |
淀屋橋と土佐堀川→ | 石造ライオン像@難波橋→ |
![]() |
![]() |
大阪証券取引所前を通過→ | 東海道57次終点の高麗橋からスタート→ |
![]() |
![]() |
熊野街道を右に見る→ | 大阪城石垣跡→ |
![]() |
![]() |
大手門前@大阪城→ | 29畳敷きの大手見付け石@大手門→ |
![]() |
![]() |
桜田門@大阪城→ | 桜田門から見る大阪城天守閣→ |
![]() |
![]() |
大阪城東側から→ | 道標 反対側には 右 大和@京橋付近→ |
![]() |
![]() |
リブストリート→ | 京かいどうの案内石柱@野江内代駅手前→ |
![]() |
![]() |
野江の七曲りと京街道石柱→ | 京かい道の案内が街路灯に@森小路駅付近→ |
ダイエー発祥の地、千林を通過してから道中に「守居橋」が現れる。豊臣秀吉が淀川の氾濫を防ぐために築いた「文禄堤」を京街道の一部として利用、その上に架かっているのがこの橋である。「守口宿」に入るがあまり見所は無い。京阪守口駅を過ぎた辺りで左側に「守口宿一里塚跡」を見た後は鳥飼大橋の手前の淀川左岸に出てしばらくは淀川サイクリング道🚴♂️の一つである土手上を8Km程走る。河川敷にも多くのサイクリストが走っている。追い風のため速度を上げ、多いに時間を稼ぐ。
土手を離れて「枚方宿」に入っていく。ここは以前に奈良にサイクリングに行く時に立ち寄って「枚方宿」の西の見付けや鍵屋資料館、本陣跡を観光した場所である。
「枚方宿」を出るとしばらくは淀川と京阪本線🚃に沿って走る。橋本駅の西側に来るとかつての面影が残る旅館が現れる。変な言葉遣いのおばちゃんや兄ちゃんが内部を見学できると誘ってくれるが外観の撮影だけにとどめる。日本人のおばちゃんが出てきたので話を聞くと、ここは元「橋本遊郭」で京阪電車が開通してからでき始め、最盛期の1937年頃には約90の貸座敷が並び、娼妓600人程度がいたが売春防止法が施行されて遊廓は街から姿を消したという説明をしてくれた。妓楼(旧三桝楼)は現在「橋本の香」旅館となっており、先ほどの中国のおばちゃんが買い取り、旅館としている。なぜ中国人がと思うが風情を残してくれているので良しとしよう。誰か志のある日本人はいなかったのかなぁ。
それからも淀川の土手下を走り、「石清水八幡宮」前の「東高野街道」に出てから木津川を「御幸橋」で渡り、サイクリスト🚴♂️が屯している「さくらであい館」でしばし休憩。サイクリストにとっては丁度良い休憩所である。休憩後、今度は宇治川を渡り、「京治バイパス」を潜り、右に折れ、宇治川右岸の土手の上にでる。「淀宿」手前で淀水路の藤棚や河津桜で有名な川沿いを走ろうと思っていたのに通り過ごしてしまい散策できず。そのまま「淀城」に向かう。「淀宿」は本陣や脇本陣は無く旅篭も僅か16軒だったらしいので、ここも見所は無く、石垣だけが面影を残す「淀城跡🏯」を歩いて一周する。近くにある淀競馬場は本日、開催されているらしく多くのガードマンが交通整理をしている。折角なので淀競馬場の石碑を背景に記念写真だけをパチリして、かつての宇治川に架かっていた街道のかなめの「淀小橋旧趾」を通過して「淀宿」を後にする。
ここからしばらく京阪本線沿いに走り、踏切で宇治川の土手に出る。やがてルートは国道1号線を横断するようになっているが横断歩道や信号もなく、周りを見渡しても渡れる気配がない。幹線道路だけあって車の通行も尋常でない。思案の末、様子を見計らって強行突破することにする。運転手は驚いている様子、御免🙇😌。
東高瀬川沿いに北上すると街道4宿の中では随一の規模を誇る大きな宿場町「伏見宿」に入る。しかし残念ながら鳥羽・伏見の戦いで伏見の町は殆どが焼失し本陣、脇本陣遺構は何も残っていない。街道筋の「油掛通り」から「竜馬通り」商店街に立ち寄る。石畳やガス灯風の街路灯、京町家風の外観であり、寺田屋騒動や坂本龍馬が襲撃されたということで有名な寺田屋へと通じる道である。ここでは大阪城と同様、海外からの観光客を多く見かけ、酒処の伏見とあって皆さん、お酒🍶を楽しんでいる。碁盤目状の伏見市街を何度も折れて通り抜けて行く。今回は訪れなかったが以前訪れた「伏見の月桂冠」、「伏見十石舟」、「寺田屋」などの伏見周辺の走行記録はこちら。
ここまでは平坦な道であったが伏見を超えて県道35号線に入ると「大岩街道」の峠道😫となる。名神高速道路横で峠を越えると県道36号線に変わると「奈良街道」となり、「大宅(おおやけ)一里塚」を見て山科盆地へと一旦下っていく。名神高速道路を潜ってから徐々に高度を上げていき、最後の登り😆で「髭茶屋追分」に到着して今回の東海道57次サイクリングは終了。この地点が本日の最高地点となる。すでに日は西に傾いている。ここからは東海道53次の街道を山科駅へと下っていく。そのまま西進すればその先で陸橋で国道1号線を渡らなければならないので少し手前で右に折れて1号線を潜り抜けてから東海道に復帰。やがて京阪本線山科駅�前となり、その奥がJR山科駅�である。ここで自転車🚲を袋に詰める。時刻は17時頃になっているので電車�が混むのを避けるために時間はかかるがJR快速🚃で帰ることにしたが思った以上に車内は空いていて一安心😊。三ノ宮でやや混む程度でゆっくり足を延ばして座ることができた👍。
今回のルート上には街道の道案内標識はほとんど無いためルートを確認するのに精一杯で、また時間的にも余裕がなかったのであまり周りや歴史遺構を楽しむことができなかったのが反省点である。しかし街道筋はほとんど「京阪本線」沿いの街中にあるため、趣のある建物は少なく、風情を感じる箇所はあまり無い。サイクリングで個々に立ち寄ることはあろうがこのルートを走ることは恐らくもう無いだろう。
![]() |
![]() |
千林手前付近→ | 千林商店街→ |
![]() |
![]() |
文禄堤に架けられた守居橋@守口宿→ | 守口宿の街道筋→ |
![]() |
![]() |
路面に設置された案内タイル@守口宿→ | 4本の石柱道標が集合している難宗寺守口道標→ |
![]() |
![]() |
一里塚跡→ | 腰掛石?→ |
![]() |
![]() |
枚方宿 鍵屋資料館→ | 旧枚方宿問屋役人 旧木南家住宅→ |
![]() |
![]() |
説明だけの枚方本陣跡→ | 道標 右は大阪へ@枚方駅→ |
![]() |
![]() |
枚方宿東見付け跡→ | 古い家がある樟葉駅付近→ |
![]() |
![]() |
今は旅館となっている橋本妓楼@橋本宿→ | 淀城跡→ |
![]() |
![]() |
京都淀競馬場前にて→ | かつての宇治川に架かっていた淀小橋旧趾@淀駅の北側→ |
![]() |
![]() |
狭い路地の竜馬通り@伏見宿→ | 雰囲気のある街道筋@名神高速道付近→ |
![]() |
![]() |
大宅一里塚→ | 奈良街道に変わる@岩谷神社前→ |
![]() |
|
髭茶屋追分に到着 |